宝来橋と同時期に建造された。土穂石川で最も下流につくられた歴史の古い橋。
 『享保増補村記附図』では「土橋」、江戸末期の図面では「石橋」となっていることから、途中幾度か架け替えられていることがわかる。
 古い橋脚柱が橋から少し離れた場所に残っている。
 土穂石川の拡幅により、橋は下流に架け替えられ、橋柱はお堂のそばに移された。

旧橋本橋の橋柱
移転前のお堂
移転後のお堂と旧橋本橋の橋柱

大畠方面(柳井高等学校)   伊保庄方面(向地)