平安後期の堀河天皇の代に京都賀茂神社の分霊を受けて社殿が造営されたのが始まりとされる。

 祭神は別雷命、玉依姫命、三毛入野命。

 今の伊保庄、相浦を除く阿月、平生町の秋森および小郡の氏神。

 県道に面して御旅所がある。

 往還は石垣の東側に沿っていたが、県道が整備されて廃止された。

賀茂神社拝殿

二の鳥居
 1637(寛永14)年に薩摩の石大工らによってつくられたもの。

 建造年が判明していて現存する石鳥居の中では、県内で防府天満宮の一の鳥居〈1629(寛永6)年、県指定文化財〉に次いで2番目に古いもので、市の有形文化財に指定されている。

二の鳥居

社殿
 現在の拝殿は1841(天保12)年に再建、神殿は1899(明治32)年大島郡の門井宗吉の主宰で造営されたもの。

 彫刻は「籠彫」とよばれる透し彫り。

神殿

社叢
 社殿の奥に広がる12,000㎡の社叢は、樹林の発達のよさ、種類の多さ、希少な種があるなど、植物学的に優れていることから、1990(平成2)年に市の天然記念物に指定されている。

社叢

力石
 江戸時代から昭和初期にかけて、力競べに用いられていた。

 賀茂神社に2個、村上酒造に13個見つかり、そのうちの主なものが保存されている。

力石

柳井方面(往還の名残を示す石橋)   阿月方面(近長の地蔵