江戸末期の2度にわたる幕府と長州藩との戦いで亡くなった人を供養するために周防大島の海中に建てられていたものを引き揚げ、この場所に建立したとの言い伝えがある。

 もともとは石碑の上の部分には地蔵尊があったといわれており「南無阿弥陀仏」の「南」の字がないことから、「首なし地蔵」とも呼ばれている。

長州征討の碑

日積方面(松戸八幡宮)   柳井方面(境川)