旧余田村と平生町竪ヶ浜の氏神。宇佐八幡宮から勧請。勧請年月は不詳である。

 もとの名称は「長尾八幡宮」であったが、いつのころか現在の名称に変わった。

 二の鳥居は新庄の土穂石八幡宮と同じ1693(元禄6)年となっており、岩国領主吉川広紀の奉納である。

 現在の社殿は大正時代の再建である。

 境内にあるモミノキ、ナギノキ等は「やないの名木」に数えられている。

 1887(明治20)年までは、線路の南側にある県道はなく、一の鳥居や御旅所のそばを通っている岩国竪ヶ浜往還から県道までの直線道路もなかった。

名合八幡宮拝殿
二の鳥居
一の鳥居

新庄方面(余田小学校)   竪ヶ浜方面(小平尾の地蔵