1976(昭和51)年に発見された遺跡で、阿月の与浦遺跡とともに、海底縄文遺跡として知られている。
出土遺物は縄文前期・中期・後期・晩期にわたるが、後期のものが圧倒的に多い。
この遺跡は、安芸灘造盆地運動に関係のある一連の遺跡群と考えられ、特に本遺跡は、安芸灘の地盤変動を立証する遺跡として重要である。
柳井方面(国守山の平家墓) 阿月方面(上八の江戸屋地蔵)