屋島の合戦に敗れた平家の軍勢の一部が室津半島にたてこもり、激しく戦ったという古戦場が池の浦にある。

 平家の軍船が大島あたりから池の浦の松原を見て漕ぎ寄せてみると、そこに大きな潟があった。これは願ってもない隠れ場所である。ありがたや天の助けとばかり、さっそく軍船を潟の中へ漕ぎ入れた。
 源氏の方から見ていると、遠く雲間にただよっていた平家の白旗がかき消すように消えてしまった。不思議に思って船を進めていると、群れ集まったかもめが帆柱の上を「こよ、こよ」と鳴いて西へ渡る。その群れについていくと、そこが池の浦で、大池に平家の軍船がひそんでいた。かもめの暗示によって平家の軍船はたちまち見つかり、池の浦の江の口で激しい合戦が始まった。
 平家方は敗れ、その一部は相の浦へ、一部は皇座山を越えて赤間関へ落ちのびた。
 池の浦の合戦以来、このとき鳴いた鳥を「平家だおし」と呼び、平家滅亡の命日が来ると、平家の恨みをこめて、「こーい、こーい」と悲しく鳴いて空を渡るという。
             〜『防長風土注進案』より〜
池の浦道路公園にある「池の浦の合戦」碑

伊保庄方面(宝照庵)   室津方面(池浦神社