「置土産」は、明治の文豪国木田独歩の作品名。
 1894(明治27)年、独歩は大分県佐伯から引き揚げて上京するまでのひと月ばかりを藤坂屋本店東側の建物で家族と暮らした。その頃は、往還から南は田んぼで家はなく、まだ鉄道も走っていなかった。
 1805(文化2)年創業の藤坂屋本店では、地元銘菓と称された三角餅(みかどもち)を製造していた。「置土産」の冒頭部分には、三角餅の紹介に加え、千歳から宮本にかけての当時の様子が描かれている。
 碑は1968(昭和43)年に建てられた。

 餅は円形きが普通なるを故意と三角に捻りて客の眼を惹かんと企みしやうなれど実は餡をつつむに手数のかからぬ工夫不思議にあたりて、三角餅の名何時しかその近在に広り、この茶店の小さいに似合ぬ繁盛、しかし餅ばかりでは上戸が困るとの若連中の勧告もありて、何はなくとも地酒一盃飲めるやうにせしはツイ近頃の事なりと。
 戸数五百に足らぬ一筋町の東の外に石橋あり、それを渡れば商家でもなく百姓家でもない藁葺屋根の左右両側に建並ぶこと一丁ばかり、其処に八幡宮ありて、その鳥居の前からが片側町、三角餅の茶店はこの外にあるなり。前は青田、青田が尽きて塩浜、堤高くして海面こそ見えね、間近き沖には大島小島の趣も備はりて、先づ眺望には乏しからぬ好地位を占むるがこの店繁盛の一理由なるべし。
       ~国木田独歩「置土産」の冒頭部分より~
藤坂屋本店(右側の建物に国木田独歩一家が住んでいた)
置土産碑

大畠方面(柳井茶臼山古墳(入口))    柳井方面(代田八幡宮)