小瀬上関往還は、岩国市小瀬から上関町までの全長15里(約60㎞)の往還で、うち約28kmが柳井市内を通っています。

 日積地区は岩国領内で有数の穀倉地帯で、この往還を使って米等を運んでいました。江戸期の往還がほぼそのままの姿で残っている区間があります。鍛冶屋原の一里塚を過ぎると、最も標高の高い峠(標高約126m)を越え、大畠地区に入ります。

 大畠地区は、瀬戸内海の難所、大畠瀬戸の風待ち、潮待ち港として発達していました。また、遠崎にある「清狂草堂」は、阿月地区にある「克己堂」とともに、明治維新に貢献した数多くの人材が輩出した塾で、往還は維新の志士たちが往来する道として重要な役割を果たしていました。

 柳井地区は、岩国領のお納戸と呼ばれ、海陸交通の拠点として栄えてきました。古市金屋地区の一部が重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

 伊保庄・阿月地区では、往還は瀬戸内海沿岸を通っていますが、悪路だったため、海上を行き来する方が多かったようです。

小瀬上関往還(日積)

1 日積地区

   日積は、「古地図を片手に、まちを歩こう。」の対象地区となっています。

2 大畠地区

   大畠駅周辺と遠崎は、「古地図を片手に、まちを歩こう。」の対象地区となっています。

3 柳東地区

4 柳井地区

   白壁の町並みは、「古地図を片手に、まちを歩こう。」の対象地区となっています。

5 伊保庄地区

6 阿月地区

   阿月は、「古地図を片手に、まちを歩こう。」の対象地区となっています。