『玖珂郡志』に「鍛冶原、行バ左。小瀬ヨリ八里、上関ヨリ七里。」との記載がある。
豊臣秀吉は、朝鮮出兵の際に、一里(約4km)ごとに塚を設けたのはよく知られている。それが江戸時代となり、諸国の街道筋に普及し、並木も植えて旅行者の便を図った。
日積地区では大原の丸山という場所にもあった。一里塚跡が位置するのは墓地そばだが、塚自体は残っていない。
詳細はFrom日積ホームページへ
『玖珂郡志』に「鍛冶原、行バ左。小瀬ヨリ八里、上関ヨリ七里。」との記載がある。
豊臣秀吉は、朝鮮出兵の際に、一里(約4km)ごとに塚を設けたのはよく知られている。それが江戸時代となり、諸国の街道筋に普及し、並木も植えて旅行者の便を図った。
日積地区では大原の丸山という場所にもあった。一里塚跡が位置するのは墓地そばだが、塚自体は残っていない。
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