かつては海だったこのあたりが中開作として干拓されたのは、1686(貞享3)年のことである。
 1694(元禄7)年、中開作のほぼ中央に新市通りをつくり、204区画を割り振って、当時過密状態であった今市、新町の居住者を移した。その際、新市は柳井津町に編入された。
 新市通りの南北にある用水溝は、1689(元禄2)年に完成した「中開作溝」で、馬皿の落合から柳井川の水をひいていた。
 1897(明治30)年に山陽鉄道をつくるとき、当初は新市に駅ができる予定だったが、「煙が迷惑」、「船に影響がある」と反対され、古開作の現在の場所に駅ができた。もし新市に駅ができていたら、まちの構造は全く違ったものになっていたと思われる。
 干拓地のため、飲料水には困ったようで、1922(大正11)年に片野方面から水をひく工事が進められた。

新市通り
中開作溝

大畠方面(火伏地蔵)   伊保庄方面(大水道)