岩政次郎右衛門(1656~1736年)は、新庄の第4代庄屋在任中に新庄長溝の開発にあたった。
1689(元禄2)年に、3年の歳月を費やし、柳井川から取水し黒杭ハゼケ谷から新庄を経由して余田堀に至る全長7km(当時)の灌漑用水路を完成させた。
それまで干害に悩まされてきた農民は、次郎右衛門を「水の神」と崇めるようになった。
「奥都城」は神霊の鎮まる所という意味で、次郎右衛門の墓所。
長溝は、300年以上経った現在でも使われている。
墓前では毎年8月19日に長溝祭が行われ、その夜は盆踊りが盛大に催される。
1928(昭和3)年に、次郎右衛門の功績に対して従五位が叙せられた。
この贈位の碑も向かって右側に建てられている。


柳井方面(火伏地蔵) 余田方面(ラクウショウ一本並びに気根群)