菅原道真公をまつる県内三大天神のひとつで「天神様」の名称で親しまれている。
1689(元禄2)年、豪商貞末宗故が岩国領主吉川公の命で大阪の天満宮へ参拝したおりに、履いていた木履の歯にはさまった天神様の像を持ち帰り、1697(元禄10)年にまつったのが始まりといわれている。
1916(大正5)年、境内地を拡張し、神門を建てる。1728(享保13)年につくられた東側の鳥居は、1916(大正5)年以前は天満宮正門に建っていたもの。
一度は岡の上公園へ遷宮することが決議されたが、1976(昭和51)年、現在地で改修することとなった。その際、神門等が赤く塗られた。
毎年4月25日直前の日曜日に「柳井天神春まつり」が開催され、大行司・小行司らによる「大名行列」が市内を練り歩く。
退筆塚
1861(文久元)年に建てられたもの。
柳井天神春まつり前日に「筆塚供養祭」と「書道席書大会」が行われている。
大ソテツ群(市天然記念物)
1793(寛政5)年、神社を大改築した後に、記念として植えられたといわれている。
住吉神社
勧請年月は不詳。1709(宝永6)年、塩浜にあった住吉社を天満宮境内に遷宮。
住吉例祭では湯立神事が行われる。
神社建物は撤去されている。
野口雨情詩碑
「おいで柳井の天神様 七日七夜は人の波」
野口雨情作詩の「柳井小唄」〈1935(昭和10)年作〉の第3連が刻まれている。
詩碑は1986(昭和61)年、柳井市郷談会が建立。
松尾芭蕉句碑「柳の塚」
「八九間 空で雨降る 柳哉」
1817(文化14)年、美濃第10世大宗匠が行脚の途中に立ち寄った時、正風美濃派柳井分社第4世宗匠の懇願によって、仮の塚を建立し芭蕉の供養を行った。そばには柳が植えられた。
美濃派第8世宗匠一楽庵陶里の遺作の書によって句碑が建立されたのは、1841(天保13)年のことである。
現在では柳の木は枯れている。
桃水の句碑
柳の塚の右側にあり「杖突て 老木の芽張柳かな」の句が刻まれている。
これを詠んだ桃水とは、正風美濃派柳井分社第7世宗匠秋岡庵紅雨の社中で、金屋町筋にあった句友の会「二葉連」に属した小田峰三郎。