明治の初めから1899(明治32)年まで、旧大畠小学校敷地の前面(御倉の浜)が周防大島への発着地であった。

 当時好条件のときでも久賀まで2時間、向かい風が強く潮が逆のときは5時間もかかったといわれている。

 1897(明治30)年に山陽鉄道が開通し、発着地は1899(明治32)年に大畠駅に近い場所へ移った。

周防大島への航路発着場だった所

日積方面(住吉神社)   柳井方面(脇酒造場)