1873(明治 6)年、当時の弘津源之助戸長が私財を投入し、海岸線に沿って幅2m、長さ6kmの貫通路を完成させた。その際、弘津は村民を説得し、各戸から1人役の労役を提供させて集落ごとに工事を行ったという。

 その後1879(明治 12)年には、幅3m、長さ8kmに改修された。

 そして1926(大正15)年8月に総工費 100,300 円(県補助金23,500 円、 寄附金38,688 円、村費38,112 円)が投じられ幅6m、長さ6kmの直線道路の整備に着手。1928(昭和3)年12月に県道として完成した。その記念碑が1930(昭和5)年に現在の伊保庄公民館敷地に建てられ、後に現在地に移された。

 小瀬上関往還はこの工事で大幅に変更されたため、昔ながらの道はあまり残っていない。

道路改築之碑

柳井方面(上八の江戸屋地蔵)   阿月方面(黒島神社