入浜式の塩田で、1833(天保 4)年に干拓された。

 総町数5町歩余で、一番浜から三番浜まであった。

 一番浜は1908(明治41)年に風浪のため廃止され、農地となった。

 二番浜、三番浜は1955(昭和30)年の災害で休止し、その後流下式への転換も見送られ、1958(昭和33)年に廃止された。

 現在は、小田小学校や小田浜グラウンドなどの敷地、堤防は主要地方道柳井上関線(72号)バイパスとなっている。

小田浜明神

柳井方面(上浜の地蔵)   阿月方面(はんにゃ寺一丁