このあたりの地名は「炭焼(すみやき)」といい、炭焼鼻は岬のように張り出した場所のこと。
この岬の前が干拓される前は、往還は岬の南側を通っていた。
岩国領と本藩領との境界の目印にもなった。
柳井方面(土穂石川) 阿月方面(吉田開作)