1937~38(昭和12~13)年の戦時体制時、食糧増産の大号令のもと、耕地整理が県営で行われた。
それまで、この一帯は雨季にしばしば冠水していた。
面積は1k㎡を超える。
耕地整理により、岩国竪ヶ浜往還は多くの区間で消滅した。
新庄方面(明地遺跡) 竪ヶ浜方面(灸川)