和田橋は、1743(寛保3)年に描かれた地下上申絵図(山口県文書館蔵)に描かれており、歴史の古いことがわかる。
かつては少し上流の水管橋のある所に橋が架かっていたが、道路改修により、昭和40年代後半に現在の位置に架け替えられた。
2005(平成17)年、道路拡幅により橋の幅員も大幅に広くなった。
和田橋付近の柳井川には、水の流れを動力にして米を搗く水車があった。かつて庄屋だった和田の小田家があり、1752(宝暦2)年から明治の終わりにかけて水車を経営していた。
伊陸方面(小和田橋) 新庄方面(柳井中学校)