1874(明治7)年、寺子屋を廃して開設。
はじめは岩政隣徳宅を借りていた。
隣徳は国学者岩政信比古の長男で、明治維新まで17年間庄屋を務めていた。
1886(明治19)年現在地に移転。
1928(昭和3)年運動場が拡張され、現在のような参道を挟んだ校地となった。
柳井方面(欣慶寺) 余田方面(主要地方道光柳井線)