昭和20年代まで、付替前の柳井川が通っていた。その名残を示す欄干には、「柳井川」、「昭和八年三月」と刻まれている。
この位置に橋が初めて架けられたのは、1887(明治20)年頃。
明治30年代につくられた地誌『山口縣風土誌』によると、長さ5間(約9m)、幅12尺(約3.6m)の土橋だった。
柳井川の付替後、しばらくこの橋は残っていたが、県道の拡幅により、橋の欄干が片側だけ残っている。
また、県道柳井周東線と県道柳井由宇線が交わる中馬皿交差点のあたりにも橋があったが、痕跡はない。
伊陸方面(馬皿橋) 柳井方面(往還の原形が残っている区間)