岩国竪ヶ浜往還の幅員が狭く、あまりにも急な坂だったため、1887(明治20)年頃に勾配の緩やかな幅2間(約3.6m)の道を別につくった。
往還の原形が残る区間
消防機庫の北側に往還がわずかに残る。
祖生方面(南山神社) 柳井方面(今井道路)