1945(昭和20)年7月28日、米空軍トーマス・カートライト機長のB24 爆撃機「ロンサム・レディ号」は、呉の攻撃に加わるため、沖縄の飛行場から飛び立った。ところが、戦艦「榛名」を攻撃中に対空砲火を受けて伊陸に墜落した。

 搭乗員9人の内1人(ペダーソン氏)はパラシュートが開かずに即死。残り8人中5人は、広島市にあった中国憲兵隊司令部に送致され、8月6日の原爆投下で亡くなった。別の1人も被爆した後しばらくして死亡した。カートライト氏は取り調べのため東京の参謀本部に移送され、被爆を免れた。もう1 人のメイブル氏も、拘束が遅れたことで助かった。

 その事件を後世に伝えるために、1998(平成10)年に「平和の碑」が有志によって久可地公会堂の横に建立された。

平和の碑
久可地公会堂

祖生方面(久可地の地蔵堂)   柳井方面(来迎院