『玖珂郡志』には、「嶽山のつづきの久可地に城山があって、藤井壱岐守居城」「この城跡には、太刀、刀等の器物が残っている」などの記述がある。
2006(平成18)年、伊陸歴史会が、この言い伝えにある殿山に登って調査した。三連峰の山頂付近では、本丸、二の丸、三の丸と見られる平坦な曲輪跡を発見。中世の山城、藤井氏城跡であることを確認した。
「由宇庄屋村田家系図」によると、藤井氏は大和国藤井郷の出身で、7代目のとき大内氏家臣となり由宇に移った。14代正之は玖珂郡代官として久可地に居住した。16代正隆が1555(弘治元)年の厳島合戦の際、陶晴賢から加勢するよう要請を受けたが、従わず帰農したといわれている。