県道沿いにある早田八幡宮鳥居から十数mほどの参道の左側に石碑がある。

 その石碑についての伝説が今も伝わっている。

 昔、夜な夜な猿猴が出て人の通るのを妨げた。そのため、村人は夜の通行ができなくなったので、村役人と有力者が相談して一策を案じ、猿猴と話し合いをすることにした。「なんじら、なにゆえに通行人に妨害をなすや。」猿猴が答えていうには「わが同族のために一箇の碑を建て、供え物をして敬意を表してもらいたきためなり。それも碑尻の腐るまで」と。そこで村では鉄の碑を建て、供え物をしたところ、被害はぴたりとやんだが、その碑もいつしか腐って倒れた。するとまた妨害が始まった。そこで村人が知恵をしぼって、石碑ならば腐る心配はあるまいということになり、石碑を建てて今日に至ったと伝えられている。
 ~「平郡島史」より~
石仏

西方面(浄光寺)   東方面(早田八幡宮