池の浦の合戦後に、もともとあった池も埋まるなど、この地は荒れたままになっていた。
領主浦元敏が領民に耕作させたものの五穀が実らず、しかも種々の怪異現象が起こった。
元敏はこれを怨霊のしわざと考え、地中に埋もれていた刀剣・矢じりなどを掘り出してそれをご神体に1726(享保11)年平家大明神としてまつった。
その後は怪異も止み、五穀も実るようになった。
1871(明治4)年に祭神を安徳天皇とし、池浦神社と改めた。
伊保庄方面(池の浦の古戦場跡) 室津方面(池田家)