旧大畠町(遠崎)と旧柳井市(柳井)との境を流れている川。
藩政時代には本藩領と岩国領との境であった。
河口付近に石仏があったことから、石仏川と呼ばれていた。
『防長風土注進案』によると、64 か所もの農業用水路がつけられていたが、流域が狭く流量も少なかったため、水をめぐる争いが絶えなかったという。
国道 188号車道の北側に、歩道だけの橋があり、かつてはそこを往還が通っていた。終戦後往還は付け替えられ、一時旧往還上に家が建っていたが、国道拡幅事業により家は取り壊され、古い橋は架け替えられて歩道となった。