1675(延宝3)年、ここに岩国領の米蔵と足軽番所が置かれた。
1689(元禄2)年頃に瀬戸番所が鳴門神社のそばから移転すると、住吉、天神は岩国領の公的諸施設が集中する地区となった。
その後1873(明治6)年に旧藩の米蔵1棟を借り受けて修復し、大畠小学(私学)の校舎とし、翌年に公立化した。1879(明治12)年に校舎を新築。1907(明治40)年に本町へ移転した。
跡地には門柱と基礎石組が残る。
1675(延宝3)年、ここに岩国領の米蔵と足軽番所が置かれた。
1689(元禄2)年頃に瀬戸番所が鳴門神社のそばから移転すると、住吉、天神は岩国領の公的諸施設が集中する地区となった。
その後1873(明治6)年に旧藩の米蔵1棟を借り受けて修復し、大畠小学(私学)の校舎とし、翌年に公立化した。1879(明治12)年に校舎を新築。1907(明治40)年に本町へ移転した。
跡地には門柱と基礎石組が残る。