鳴門村より日積村を経て伊陸村に至る里道の改修のために、1891(明治24)年、関係3つの村で里道改修組合が設置された。工事は翌年許可され完了した。
1902(明治35)年までに再び改良され、後に県道に指定された。
1930(昭和5)年から1938(昭和13)年にかけて拡幅され、自動車が通行可能な路線となった。この過程で石神川沿いの往還は民間に払い下げられ、消滅した。
鳴門村より日積村を経て伊陸村に至る里道の改修のために、1891(明治24)年、関係3つの村で里道改修組合が設置された。工事は翌年許可され完了した。
1902(明治35)年までに再び改良され、後に県道に指定された。
1930(昭和5)年から1938(昭和13)年にかけて拡幅され、自動車が通行可能な路線となった。この過程で石神川沿いの往還は民間に払い下げられ、消滅した。