阿月湯原の太陽光発電所そばの住宅地の一角にある墓石。
太陽光発電所のある一帯は、平成の初めにゴルフ場などのリゾート地として大規模開発された。
墓石は、大規模開発される前の1970年代中頃に、山の頂上で発見された。当時の所有者の関係者の話によると、先祖から「栗の木から上は登るな」と言い伝えられていたが、それを知らずに登って見つけた石碑だという。大規模開発により石碑を移動する際に人骨が見つかり、墓石と分かった。
墓のあった山には古道(小瀬上関往還)があり、人馬が往来し、茶屋もあったという。墓は山の頂上にあったので人は通らなかったとみられるが、旅の途中で息絶えた女性を埋葬したのではないかとも考えられている。「霊神」が付いているので、神格化された人物とみられるが、詳細は不明である。
墓石は大規模開発の際に、阿月から尾国へ向かう市道のそばに移されたが、墓石の前面を研磨し、新たに文字を彫り、現在地に移された。
▼大規模開発される前のこの地域の様子(イメージ。当時の所有者の関係者から画像をいただきました)
伊保庄方面(陣屋跡)