信濃諏訪神社からの勧請と伝えるが、創建年月不明。

 はじめは半田山に鎮座し、文禄年間(1592~1596年)に現在地に移ったとされ、祭神は建御名方神、大己貴命、沼河比売といわれる。御神体は鎌。

 『玖珂郡志』によると、1374(応安7)年、大内弘世が造営とある。1700(元禄13)年春、牛馬の流行病が祈祷によって治まり、1732(享保17)年には虫枯れのため、悪虫消除や雨乞いの祈祷をすると雨が降り虫害も治ったと記されている。こうしたことから、五穀豊穣、農耕に霊験があると考えられている。

 境内の群魂神社、河内神社、淡島神社、多賀神社は、明治の神社整理の小社といわれている。

 石段の傍らに、当社の護持に努めた国学者高井澄男氏の顕彰碑がある。

 ここから山道を150m上った浴谷を「大清水」といい、地名にもなっている。『玖珂郡志』には、「大清水。諏訪ノ奥。」とある。かつては、棚田の堺に湧水点があったとされる。

諏訪神社
高井澄男顕彰碑

岩国方面(忍道)   大畠方面(正行寺)