『玖珂郡志』によると、乱世のころ、敵に囲まれた武士が、刀剣と鶏を皮籠の中に入れ、飼料の米を水に浸して石の下に隠したことが名の由来とされる。
1707(宝永4)年10月4日の大地震でこの石が割れ、そこから1羽の金の鶏が飛び立ち、近くの村人の家に飛び込んだところ家運が良くなったとの言い伝えがある。
この石は、1933(昭和8)年の県道改修の時に使用されて、今はなくなっているが、「川子石」という地名は残っている。
一 カハゴ石。瑞雲寺ノ辺ニ有之。宝永四年十月四日夜、大地震ニテ此岩鳴動シテ石割レ、其中ヨリ金鶏、飛テ羽打、向ノ家ヘ飛行ス。其年ヨリ此家、富有ニナリ今ニ鶏ハ見ヱネドモ、大晦日諷フ由。 (増補) 『瑞雲寺縁起』ニアリ。昔、乱ノ時、敵ニ取囲レ死スル人、名剣ヲカクシ、我ガ子ノ他所ヨリ帰リタルニ取セントテ、カワゴニ入テ、其カハゴノ内ニ雞ヲ入、鶏ノ食物ヲ水ニシタシテ入レ、食水ニタヘヌヤウニシテ岩ノ下ニカクシヲキ、五七日ノ中ニモ其子立帰リテ、雞鳴ノ時分に彼岩ノ上に来テミヨ。鶏時ヲアヤマタズ、カハゴノ内ニテ鳴ヲ聞テ、ソレヲシルベニ彼剣ヲトレト云置ケレドモ、敵ニヲソレ、日数ヲ経テ後、雞死シケルニヤ、鳴音ナシ。終ニ所ヲ不知、故ニトリヱズシテ永ク石ノ下ニクチナン。雞ノ亡魂年ヲ経テ後、雞鳴時ヲタガヘズオトヅルゝコトアリ。是故ニ、カワゴ石ト云。 ~『玖珂郡志』より~ |