大昔は円墳があったと言い伝えられている。

 中世の頃にはここに山城があり、毛利と大内の古戦場として伝えられている。1555(弘治元)年、毛利元就は陶晴賢の軍と厳島で戦い、これを滅ぼした。毛利の水軍であった小早川隆景の兵は由宇に上陸し、茶臼山城周辺において、大内側と壮絶な戦いを繰り広げたといわれている。

一 小国城山。本丸三間半ニ四間程。廻リ三段、西ニ堀切、二。(結城重忠)城主不分明。一説ニ重藤因幡守ト云者、住居セシト申伝。上ノ平ミニ城主墓トテ石畔有。此城山ニ登リ化女ニ逢バ、即病気トナル故ニ姫ヶ城ト云。城山ノ南ノ原ヲ城ヶ原ト云。首塚トテ小高キ所アリ。一説ニ、所ノ地下人、同所茶臼山ニ小城構住タルト也。然ルヲ海賊槇尾山ヨリ取リ掛ケ、合戦ニ及。其時ノ首塚ト云。形、今ニ有之。又、一説ニ此山ノ西ニ、トウゲン山ニ敵籠リ戦タルトテ、此山ニモ首塚アリ。
~『玖珂郡志』より~
小国茶臼山

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