京都醍醐寺百一世座主にして真言宗醍醐寺派第九世管長、大本山三宝院門跡に就任された岡田宥秀大僧正(昭和60年(1985年)逝去、79歳)が生誕した寺院。よって、醍醐寺とは特に深い関係にある。

 そばの山には人麿呂神社、不動院八十八ヶ所、子安観音堂がある。県道の工事に伴い、一か所に集められた。

 昭和52年(1977年)10月13日、本堂が焼失したが、焼け落ちた大師堂の下から、水びたしになった焼け残りの大般若経600巻のうち90巻が見つかった。この大般若経は、南北朝時代後期の至徳2年(1385年)から嘉慶3年(1389年)のころ大願主楊江人真光禅尼が周防国楊井荘長福寺へ施入したもので、筆者は楊江比丘をはじめ数人。

 長福寺は2つの説があり、柳井新荘(新庄)に存在したという説と、上馬皿にあったという説がある。長福寺からどのような経緯で不動院に移されたのかは不明。

不動院
不動院八十八ヶ所と子安観音堂

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