古開作を干拓した直後の1665(寛文5)年、低湿地の耕地化を図るために掘削した人工の川で、「堀川」とも呼ばれている。
幹川流路延長6.3km、流域面積14.6k㎡。
川の土を積み上げたのが、新庄地区西部にある「築山」で、この土は1897(明治30)年開通した山陽鉄道(現在のJR山陽本線)の線路の路床に使用された。
川は昭和初期に改修されて上流に延長したため、水の流れが良くなった。
物資や湯治客などの輸送手段としても重要だった。
柳井方面(大師堂) 余田方面(土穂石)