新庄の第4代庄屋であった岩政次郎右衛門(1656~1736年)が、1689(元禄2)年に3年の歳月をかけて完成させた灌漑用水路。その距離は黒杭ハゼケ谷から余田堀に至る全長7km(当時)に及ぶ。
1950(昭和25)年、馬皿から新庄に抜けるトンネルが掘られたため、1945(昭和20)年台風の被害に遭った馬皿南側の水路は使われていない。
新庄の第4代庄屋であった岩政次郎右衛門(1656~1736年)が、1689(元禄2)年に3年の歳月をかけて完成させた灌漑用水路。その距離は黒杭ハゼケ谷から余田堀に至る全長7km(当時)に及ぶ。
1950(昭和25)年、馬皿から新庄に抜けるトンネルが掘られたため、1945(昭和20)年台風の被害に遭った馬皿南側の水路は使われていない。