送電線の鉄塔のあたりに、日積・大畠へ向かう脇往還との分岐点がある。
ここには、ほ場整備前から六角柱の前面に「六道能化」と刻まれている地蔵菩薩があった。これは、1773(安永2)年6月につくられたもので、そばに並んでいる石祠はいずれも一帯のほ場整備の際に集められた。
地蔵菩薩の左側は柿本人麻呂社で、病気回復、健康増進、家内安全、五穀豊穣の神様。
さらに左側には五輪塔があり、室町時代作といわれる。
地蔵菩薩の右側には、その台座がある。移設前は、一本柱の支え棒によって地蔵菩薩を覆う屋根があった。
祖生方面(宮ヶ原の阿弥陀堂) 柳井方面(廓然寺)