湯原海岸は、1983(昭和58)年に開設された、遠浅で波の静かな海水浴場だった。
湯原の名のとおり、昔は温泉が湧き出て「湯原千軒」というほどにぎわったといわれている。
1990(平成2)年度に泉源開発のためのボーリングが実施された。
宇積の妻崎一帯を湯原といって、昔はとてもよい湯がわき出ていた。そのころ、名湯を慕って湯治客が各地からやって来て、温泉場として繁盛し、かなりの家数が軒を並べていた。それを「湯原千軒」といった。 そのころのこと、宇積に仕事が生きがいの一人の百姓がいた。百姓には、手足となって働いてくれる牛がいなければ、いくら仕事熱心でもよい田を作ることはできない。その百姓は人いちばい牛をだいじにし、黒くたくましい自分の牛が自慢でもあった。 百姓はゆげの立ちのぼる露天風呂まで牛を引いて来て、自分も裸になって温泉につかった。 百姓も牛も、たまった疲れをゆっくりと休めた。ところが不思議や不思議、今まで湯気ですぐ前も見えないほどだった露天風呂が、みるみるうちに湯が減っていき、赤土の底を見せる空池になってしまった。 「これはいったい、なんのまちがいじゃろう。」 百姓と同じ驚きの声がどの家からももれ、今まで内湯を楽しんでいた人びとも、あわてて外に飛び出してきた。それ以後、あれほど豊かにわき出ていた湯が、湯原一帯どこを掘っても出なくなった。どうやらお湯の神さまが怒って、海を渡って伊予(愛媛県)の道後というところへ逃げていかれたということである。千軒のにぎわいもそれまでであった。 〜「柳井昔ばなし」より〜 |