江戸時代の終わり頃、この地に「おつや」という娘がいた。ある日、宇積の奥、草刈峠のかかり口の田で、おつやたち5、6人の早乙女が陽気に田植えをしていた。すると草刈峠を下ってきた侍の一人が自分たちを嘲笑したと勘ぐり、一番近くにいたおつやを無礼討ちにした。村人たちはそんなおつやを哀れんで、田のそばに石仏を建てて供養したという。おつやの討たれた田は、今でも「早乙女田」と呼ばれている。

 その後、石仏はほ場整備が実施されて取り除かれたが、田の管理者が現在も大切に保存している。

早乙女塚(ほ場整備前)
ほ場整備が実施された早乙女田

伊保庄方面(往還の原形が残っている区間)   上関方面(勝負ヶ迫