1736(元文元)年に阿月の領主浦氏が開設した塩田。北から一番浜~三番浜まであり、5町5反余りの規模があった。

 その後災害に遭って途絶えていたが、秋良貞温の資金調達によって1831(天保2)年に再興した。

 しかし、ニ番浜は1900(明治33)年に災害により廃止、一番、三番浜は1911(明治44)年の第1次塩田整理で廃業した。

 その後、水田となっていたが、1970(昭和45)年この地に株式会社中村造船鉄工所が進出した。

宇積浜
中村造船鉄工所が立地

伊保庄方面(長崎の峠越え)   上関方面(山添遺跡