浄土真宗の寺。
応仁(1467~69年)の頃に開基。第3世教願の代に白潟より移したと伝える。
江戸時代には柳井坊主職の地位をもち、大島郡、熊毛郡、玖珂郡に33余寺の末寺、末庵を抱えた。
本堂は正徳年中(1711~16年)の建立といわれている。
山門の前にイブキの仲間、ビャクシン雌株の巨木、境内にはヒマラヤスギの雌株がある。
偕楽庵理圭坊句碑(かいらくあんりけいぼう)
「消ゆるともよし正風の美濃の雪」と刻まれている。
美濃国(岐阜県)で詠まれた辞世の句。
理圭坊は柳井正風美濃派第6世宗匠で、1864(元治元)年に柳井俳壇の歴史を集大成した『柳の帳』を編集したことで知られる。
九条武子の歌碑
「はなみれど花のこゝろにふれぬ日はつれなくもまたさびしかりけり」と刻まれている。
1926(大正15)年、誓光寺仏教婦人会創立50周年大会に本部長として来柳して臨席した際の和歌。