もとは「浜町」と呼ばれ、海岸線の小路だった。 宮本の正行院の岡(亀岡)から姫田川に架ける橋の石を取り寄せてから、「亀岡町」と呼ぶようになった。 昭和40年代にはアーケード街としてにぎわった。 平成に入って道路が拡幅され、現在の姿になった。
大畠方面(普慶寺) 伊保庄方面(亀岡の火伏地蔵)