寛文年中、石州人麿神社より勧請したといわれている。
戦前の梅雨明けの頃、疫病退散と田植えの慰労を兼ねて、日ごもり講が行われていた。
1973(昭和48)年、山中から現在地に移転された。
日積大原方面(天神社) 神代浜方面(鷹ノ巣の火除地蔵)