もとは飛橋だったが、最初に土橋あるいは板橋が架けられたのは1857(安政4)年と伝えられている。現在の橋と国道の橋(大原橋)との間に、「積善橋」と刻まれた石柱が残されている。
正 面 積善橋 左側面 世話人 井上氏 刀祢 要蔵 右側面 安政四丁巳春 庄屋 松井□左衛門 年寄 幸十郎 櫨守 藤十郎 |
積善橋石柱の刻字の内容
橋は1936(昭和11)年に架け替えられ、さらに1983(昭和58)年度に架け替えられた。
現在の橋の北側には、1936(昭和11)年に架け替えられた橋の柱が4本保存されている。
日積大原方面(松島詩子出身地) 神代浜方面(明教寺)