江戸中期の『伊保庄地下図』によると、背の高い岩ばかりが描いてあり、道は山の中を通っていた。
峠には道祖神がある。
このほかこの場所には「大津恵」という地名もある。「津恵」は「崩」の意味で、大変な難所だったことがわかる。
柳井方面(弘津千代生家跡) 阿月方面(老猿の三連珠)