明治の初めまで、伊保庄の往還は道幅が狭かった。そこで当時の弘津源之助戸長が私財を投入し、1873(明治6)年に海沿いの貫通路(幅2m、長さ6km)を完成させた。その際、弘津は村民を説得して各戸1人役の労役を提供させ、集落ごとに工事を行った。この道は1879(明治12)年、幅3m、長さ8kmに改修された。

 1926(大正15)年、当時の弘津隆治伊保庄村長が3年継続計画を立案し、総工費約10 万円を投じて幅6m、長さ6kmの直線道路の整備に着手、1928(昭和3)年に完成させた。

小瀬上関往還(旧道)
1928年に完成した幅6mの道路

柳井方面(旭橋)   阿月方面(高須の地蔵と念仏碑