文化年間(1804~1818年)に、対岸の柳井浜の築立と前後して開作された。

 萩本藩領の上関宰判の支配地にありながら、便宜上柳井浜会所に属し、柳井十四番浜とも称した塩田だった。

 1913(大正2)年に廃止して農地となった。

柳井方面(旭ヶ丘)    阿月方面(高須の大師堂